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OSHO 病気のときに初めて健康が問題になる

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健康な人はしじゅう自分は健康だとは感じない。
病気の人だけが健康のことを気にする。
ようやく健康になったときは……
自分は病気を抜け出して、健康になったと感じるが、
それが毎日毎日、日常的な、当り前の経験になってゆくと、
病気と比較対照することができなくなる。

頭痛になるまで頭のことは忘れている。
そんな経験をしたことはないだろうか? 
頭が気になったことがあるだろうか? 
頭痛になって初めて頭のことを意識する。
頭痛になると考えるーー頭痛を味わったことのない人は、
頭痛持ちでない健康な頭を持つことのありがたみがわからない、と。
 
すべての経験には対照するものが必要だ。
苦いものを味わえなかったら、甘いものも味わえないーーどちらも必要だ。
暗闇を見ることができなかったら、光を見ることもできない。
つねに一方の状態にあると、それについて忘れはじめる。
 
これがわたしの言う「光明を超える」ということだーー
あるときから、自分が光明を得ていることを忘れはじめる。
あるときから、それは人生の自然な流れ、
特別ではないもの、当り前のものとなってゆく。
呼吸のように、心臓の鼓動のように、血液が全身を巡るように、
光明も存在の一部になる。それについてすっかり忘れてしまう。
 
光明について尋ねられると、そうだ、光明という経験があったのだと思い出す。
しかし、ひとりで座っているとき、自分が光明を得ていることなど思い出さない。
それはばかげている。それほど自然な、当り前の経験になっている。
 
最初に心(マインド)を超える。
次に光明も超える。
実在のありふれた一部になるまで、
木々や、鳥や、獣や、川と一体になるまで、途中で止まってはいけない。
あなたは深い調和を感じはじめるーー優れてもいないし、劣ってもいない。
 
ゴータマ・ブッダは光明を超えた境地を洞察した。
そのことに言及し、光明を超えることができると言った。
自分が超えたとは言わなかったが、
光明についてすっかり忘れてしまう境地があるという事実を認識した。
完全に健康になると、健康のことは忘れてしまう。
そのとき初めてわが家に帰り着く。
最後には光明すら障壁になるーー最後の障壁に。

 

Osho
 
 
 
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