これが私たちが死と呼ぶものだ
私たちは生きることによって
ほんとうに生を知ってはいない、
私たちが知ったの死だけだ。
これまでの私たちの生は・・・・・・、
どこに生の燃える松明があるというのかね?
あるのは死の煙だけだ。
誕生から死に至るまで、
私たちは徐々に死んでいる。
私たちは生きているだろうか?
私たちは毎日毎日死んでいる。
私たちが生と呼ぶものは、
絶えざる死のプロセスだ。
私たちはまだ生を知らない、
どうして生きることなどできる?
日ごとに肉体は弱まり、
日ごとに強さは弱くなりつづけている。
楽しみや情熱が日毎に
私たちのエネルギーを吸い取りつづけ、
私たちの年齢を加えつづける。
情熱と欲望は穴のようなものだ。
私たちのエネルギー、
私たちの存在は
それらの穴から流出しつづける。
最後には
私たちのバケツは空っぽになるーー
これが私たちが死と呼ぶものだ。
Osho