モクシャとは、解放だ
モクシャとは、
あらゆる行為と活動の彼方、
意識そのものが体験される状態を意味する。
活動が存在するかぎり
その隷属はある。
罪を犯せば苦しむことになり、
善行を行えば幸せになる。
それはあたかも、ニームのような
苦い樹の種を蒔けば苦いニームの実が実り、
マンゴーのような甘い樹の種を蒔けば
甘いマンゴーの果実が実るようなものだ。
これとまさに同じで、
その算術は明晰かつ直接的だ。
だが私たちのなかには、
ある者がいる。
その者は苦さや甘さを体験していない。
彼はその両方を超えている。
彼はその両方を目撃している。
舌の上に
苦さや甘さという体験は存在するが、
「私」はそれとは別な者だということを
見ている者がいる。
私は目撃者に過ぎない。
この目撃のなかに落ち着くことが
サマーディ、光明を得ることだ。
そしてこの目撃するという完全な体験を
達成することがモクシャ、解放だ。