神性は周り中にあり
神性は周り中にあり、
人間も至るところに存在しているにもかかわらず、
自分のなかに特定の状況があるときにしか
私たちはその神性に同調しない。
だから寺院は、私たちがその神性なるもの、
神の存在を、霊的高揚を感じられるようにするための
受容センターとしての役を果たしたのだ。
寺院におけるすべては、
この目的の観点に基づいて整えられていた。
さまざまな人びとがそれぞれ異なる準備を思いついたが、
それはたいした違いではない。
Osho
関係性について
愛が関係になるやいなや、
それは束縛になる。
なぜなら、
期待があり、要求があり、不満があり、
支配しようとする両方からの努力があるからだ。
それは権力闘争になる……。
ふたりはいっしょに、
とても愛にあふれることができる。
彼らに愛があればあるほど、
どのような関係もますますあり得なくなる。
愛があればあるほど、
彼らの間にはそれだけ多くの自由がある。
彼らに愛があればあるほど、
どのような要求も、どのような支配も、
どのような期待もあり得なくなる。
そして当然、不満などまったく問題にもならない。
Osho
「関係性について」 Osho の言葉から
あなたはどこにも行く必要はない
あなたはどこにも行く必要はない。
あなたは、そうなりたいと望むすべてのものを、
種の形でもっている。
このことに気づき、もう一方 の側を見るのだ・・・。
大衆とともに生きる人びとを
彼らはなにを獲得するというのだ?
彼らはすべてを失う。
実際のところ、彼らはまったく生きていない。
ただ死んでいる。
生れたときから、彼らは死にはじめる。
そして息を引きとるまで、死につづける。
彼らの人生全体は、長きにわたる死の連続だ。
ほんの少しでも、群衆というものの全体を見てごらん。
あなたは彼らとともに生きることもできるが、
同じ運命が、あなたにも待っているだろう。
もしあなたがそれを見るなら、
それはひじょうに単純なことだ。
生を生きるための唯一の方法は、
あなた自身として生きることだ。
それは個人的な現象であり、
自立しているということであり、
自由であるということだ。
それは、あらゆる死んだものの重荷を
たえず取り除いていくということだ。
そうすれば、生は成長つづけられるようになり、
死んだものの重みで押しつぶされることはなくなる。
Osho
氣分を瞑想に使いなさい
氣分を瞑想に使いなさい。
結果は奇跡的だ、驚くべきものだ。
そしてエネルギーをいかにして
源泉に引き戻すかを教えてくれる
鍵さえ見つけさえしたら、あなたは
異なった質のパーソナリティーをもつだろう。
Osho
ただ清浄な
私は難しい専門用語には
いっさい関心がない。
あなたは私にはとても素直でなければならない
というのも、それは探求の問題だからだ。
あなたには無邪気な、静かな探究心が必要だ。
信念でいっぱい、
哲学でいっぱいの心ではなく、
ただ清浄な。
Osho