私たちはなぜ愛に満ちた存在ではないのか
問題は
「私たちはなぜ愛に満ちた存在ではないのか」
ということだ。
この人やあの人、友だちや敵に対して
愛情深いかどうかが問題ではない。
問題はあなたが愛に満ちた存在であるか、
そうでないか、ということだ。
あなたは自分のからだを愛しているだろうか?
自分のからだを愛にあふれたタッチでふれてみようと、
一度でも思ったことがあるだろうか?
あなたは自分を愛しているだろうか?
Osho
この世界に愛以外のセラピーはない
愛はセラピーだ。
そして、この世界に愛以外のセラピーはない。
癒やすのはつねに愛だ。
なぜなら、愛はあなたを全一にし、
愛によって、あなたは世界で歓迎されていると感じ、
愛によって、あなたは存在の一部になるからだ。
Osho
私たちはハスを育てなければならない
政治家たちとすべての宗教の聖職者たち、
政府と官僚たち――彼らはみな、
うんざりするほどの泥を生み出している。
今となっては、私たちはハスを育てなければならない。
あなたがたは彼らの泥に埋もれてはいけない。
あなたがたはハスの種をまかなければならない。
Osho, The Razor’s Edge, #11 より抜粋
OSHO 生まれるときに持ってきたプログラム
誰もが他の何者かになろうとしている、
というのも、社会は何者かになるように
全面的な圧力をかけるからだ。
誰も自分の本来のプログラムが何なのか、
あなたが生まれるときに持ってきた
プログラムは何なのか、
注意を払おうとさえしない。
Osho
OSHO 私はあなたたちに祝祭を教える。
あなたが深刻でいることを、存在が望んでいるようには思えない。
私は深刻そうな樹木を見たことがない。
深刻そうな鳥を見たことがない。
深刻そうな日の出を見たことがない。
深刻そうな空一面の星空を見たことがない。
それらはみんな自分なりのやり方で笑っているように見える、
自分なりのやり方で踊っているように見える。
私たちには理解できないかもしれないが、
存在全体に祝祭の微妙な雰囲気が漂っている。
私はあなたたちに祝祭を教える。
そして笑いが、
この祝祭の主成分のひとつであることは確かだ。
Osho, Sat-Chit-Anand: Truth-Consciousness-Bliss, #21 より抜粋
OSHO こうした瞬間に瞑想はある
瞑想は沈黙の境地、
瞑想は無欲の境地、
瞑想は過去のない、未来のない境地だ。
瞑想はあなたがなにもやらずに、
ただ自分の実存を育んでいるときの境地だ。
あなたは自分が在るということで幸せだ、
自分が息をしているということで幸せだ。
なんの理由もなくただ幸せなのだ。
こうした瞬間に瞑想はある。
Osho
OSHO 知るべきものは何もない
知るべきものは何もない。
静かに見守れば、すべてが消え去る。
計り知れない沈黙が扉を開く。
知るべきものは何もない。
知識は完全に無意味になる。
あなたは初めて我が家に帰る。
これが究極の休息だ。
Osho