荘子の言明
荘子の言明を
もう一度、言いたい
『楽であれば正しい、
正しければ楽だ』
Osho
Shantam art Catalog
形のない真理
音のない音楽がある、
魂はそのような音楽を求めて休むことがない
肉体が存在しない愛がある、
魂は肉体とつながりのない
そのような愛にあこがれる
形のない真理がある、
魂はこの形のない真理にあこがれる
それゆえにメロディーは満足を与えず、
肉体は満足を与えず
形は魂を満たすことができない
しかし、この成就を欠いた状態は、
この不満足は正しく理解されねばならない
なぜなら、そのような理解が、
ついには超越をもたらすからだ
そのとき、音は音なきものへの扉となり
肉体は肉体とつながりなきものへの道となり、
形は形なきものとなる
Osho
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死について何が言えるだろう
死について何が言えるだろう。
死についてどのように言うことができるだろう。
どんな言葉であろうとも、
死の意味を伝えることはできない。
この「死」という言葉は何を意味するのか。
実のところ、それは何も意味しはしない。
死という言葉を使う時、
あなたは何を意味しているのか。
それは単に、
それを超えた向こう側で
何が起きるか分からない扉のことだ。
Osho
>扉としての死
私たちは同じ真理を探求している
物理学者たちは、原子は光に爆発すると言い、
神秘家たちは、魂は光に爆発すると言う。
彼らは深い同意にあるようだ。
実のところ、宗教と科学の間に
誰も橋を架けようとはしていない。
もしそれがなされたら、
それは偉大な価値のあるものとなる。
同じ方向に進む洞察。
それは進まなくてはならない、
進まねばならない。
なぜならそれはひとつの実存だからだ。
どこかで、科学の発見したすべてと
宗教の発見したすべてが
どんなにその言葉は異なっていようと、
どこかで同意があるに違いない。
なぜなら、私たちは
同じ真実を探求し捜し求めているからだ。
おそらく異なったやり方で、
異なった技術で、
異なった方法で、
異なったアプローチで、
異なった形態で、
しかし、私たちは同じ真理を探求している。
Osho
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愛は瞑想の副産物だ
自らの存在の中心に到達するやいなや、
愛が自分から解き放たれていることに、
あなたは気がづく。
それはあなたによって
なされることではない。
それはちょうど太陽が昇って、
花々が開き、空気がかぐわしい香りで
満たされるようなことなのだ。
愛は瞑想の副産物だ。
Osho
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