私たちは自分の前にやって来るものに次々と同化してゆく。
怒りの雲がそこにあると自分は怒りだと思い、
愛の雲がそこにあると自分は愛だと思う。
慈しみがそこにあると自分は慈しみだと考え、
悲しみがそこにあると自分は悲しみだと考える。
私たちはそのどれでもないーーー私たちは見ている者だ。
怒りが来ては去るが、見ている者はとどまる。
悲しみが来ては通り過ぎるが、目撃者はとどまる。
この目撃者をもっともっと意識することで、あなたは統合される。
なぜなら、それは永遠に続いてゆく、唯一の中心だからだ。
目撃という永遠の岩盤の上にこそ、ほんとうの生が築かれる。
Osho