「中空の竹でありなさい」Oshoの言葉から
これはティロパの独特な技法のひとつだ。
マスターにはそれぞれ、
自分がそれによって達成し、
それによって他の人たちを助けたいという、
その人独自の技法がある。
これはティロパの独自性だ――
中空の竹のように、
自分の身体にくつろいで休みなさい。
Osho
>「中空の竹でありなさい」Oshoの言葉から
それが量子的飛躍だ
あなたは、
宇宙はある、
だがあなたはもはやそこにはいない。
探求者は消え失せる、
彼は自分の探していたものを見つけた、
だが彼はもはやそこにはいない。
それが量子的飛躍だ。
Osho
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独り在ること
あなたは、
あらゆる関係性から
香りを集めてきた。
善きにつけ悪しきにつけ、
美しいにつけ醜いにつけ、
香りを集めつづける。
そうして、あなたのなかで炎が立ち昇る。
この独り在ることが
ゴールでなければならない。
Osho
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「祝祭について」Oshoの言葉から
私は自分自身を喜び祝う。
そしてあなたにも自分自身を喜び祝う日が
遠からずやってきてほしい。
世界中の何千何万もの人びとが
喜び祝い、歌い、踊り、恍惚とし、
神聖さに酔いしれるとき、
地球規模の自殺の可能性はまったくない。
それほどのお祝い、
それほどの笑い、
それほどの健全さと健やかさ、
それほどの自然さと自発性があるとき、
どうして戦争が起こりうるだろう?
Osho
>「祝祭について」Oshoの言葉から
OSHO:人間の驚くべき可能性
音楽と瞑想
私にとって、
音楽と瞑想は
同じ現象の二つの局面だ。
そして音楽がなかったら、
瞑想にはなにかが欠けている。
音楽がなかったら、
瞑想は少し重くなり、
生気を失う。
瞑想がなかったら、
音楽は騒音にすぎない――
和音だとしても騒音だ。
瞑想がなければ、
音楽は娯楽だ。
そして音楽がなければ、
瞑想はもっともっと否定的になり、
死志向になりやすい。
だから私は音楽と瞑想は
ともにあるべきだと主張する。
それが双方に新しい次元を付け加える。
両方ともそれによって豊かになる。
Osho
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